|
以前の記事
2009年 06月
2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 カテゴリ
検索
おすすめキーワード(PR)
ファン
|
自分の頭を整理するために書いています。
ここ半年ばかり、極端に更新回数の減ったこのブログ…。 会社を辞め、フリーランスになって以降、 なんとなくブログを書く時に“違和感”というか“書きづらさ”みたいなのがあって、 その正体をずっと考えていたんだけど、 それは、フリーになってから物事の捉え方というかスタンスみたいなものが 根本的に変わったからだ、と気づいた。 自分は今、組織の中にいるわけでもないし、 ものを売って商売しているわけでもない。 じゃあどうやって食っているのか、といえば、 「デザイン」で食っている。 「デザイン」って言葉は誤解されているところもあって、 ファッションだったりビジュアルだったり、見た目の言葉だと思われがちだけど、 本来はもっと大きな意味合いの言葉だ。 例えるなら、 「自分の人生を、できるだけ自分で“デザイン”したい」 というように。 どこにいても、どんな環境でも「デザイン」はできるけど、 “デザイン”はそう簡単ではない。 でも、この2つの「デザイン」と“デザイン”は本来同じ(もしくは同列)であるべきで、 相手にとって、本当の意味での良いと自分が考え出した「デザイン」が、 その相手の“デザイン”に寄与するものであって欲しいし、 そのことが自分の人生にとっても良い“デザイン”であると信じたいし、 良い“デザイン”の中からこそ、本当の意味での良い「デザイン」が生まれるんじゃないか? そして、そういう循環を作れる者こそが本当の「Designer」なんじゃないか? という思いがずっとあった。 (どういう“デザイン”を良しとするかは様々だけど。) あとフリーになるまで、 自分の中で「働く」ということがいつのまにか、 「会社に勤める」みたいなものにすり替わってしまっていて、 その思い込み(勘違い)が「仕事」とか「家庭」とか「プライベート」とか、 いろいろなものを分断していたのでは? と今になってみると思う。 現に今、家で仕事をするようになってからは、 自分の中では全てが繋がっている。 もっと言えば、仕事も遊びも、家庭もプライベートも、プロレスもサッカーも音楽も、 全てが大きな「輪」のようなイメージ。 以前は「円グラフ」で○○何%、△△何%みたいな感じで きっちりわける事ができたイメージだ。 以前ブログを書いていた時は 人が思っているであろう“自分”というキャラクターを意識して プロレスとかサッカーとか音楽とか、 自分のオタク的要素を前面に、という部分が少しはあったけど、 考えてみたら「人が思っている“自分”というキャラクター」だって 自分で勝手に作り出したもので、 もっと言えば、そもそも自分の“オタク的要素”も実は、 「仕事(言い換えれば会社、もっと言うと“社会”)」と「それ以外の部分」を分断する、 という役割があったのだと思う。 それらの事柄を、社会と自分とを分断する特別な“囲い”みたいなものとして、 自分で自分の周りに勝手に置いていた、みたいな。 そして何も考えずに長州力の名言から拝借したこのブログのタイトル、 「お前ら噛みつかないのか!?」 という言葉にも、無意識のうちに縛られていたような気もする。 結論。 ブログを書く「意識」を変えます。 実は、今までのブログで書くのはどうかなあ…と思って ひっそりと誰にも言わずに書いてきた 育児&親バカ・ブログ(今は休止中ですが)みたいなことも、 今まで意識して書かないようにしてきたマジメ?な話とか、 今の自分の生活とは切っても切り離せない仕事のこととか、 暮らしの中で起きた小さなこととか、 ブログの“ネタ”として今までは特にオイシイと思わなかったようなことも 何でも書いていこうかなぁ、と思います。 ブログのタイトルも変えます。 要は、今までと少し“気分”が変わった、ということです。 といっても内容的には相変わらず、プロレスとかばっかりかもしれません。 オタクなことには変わりないし。 でも、やっぱり同じ事を書くにしても“気分”は変わった。 だから、素直に、とりあえずは何も考えず気楽に書いてみようと思います。 (もちろん、節度はわきまえながら。) 仕事もプロレスも育児もプライベートも全てを自分の「一部」、 大きな「輪」として。 何か言いたいことを言えたような、支離滅裂なような不思議な感じですが、 とにもかくにも、これからはもっと「自由」に書きます。 だって「自由」なんだもん。 今、ブログのリニューアルとか新設も含めて考え中です。 今後ともよろしくお願い致します。
amazonから届いた数枚のCDと数冊の本。
届いたCDを聴いてみて、最近の流行(なんてもう無いのかな?)はよく分からんが、 どことなく“90年代還り”みたいなものを感じた。 「もう90年代!?」と思ったが、 よくよく考えてみると1990年といえば約20年前であることに気づき、愕然。 そういえばこの間書いた、ユニコーンもそうだな…。 あと、届いた本を眺めていて、改めて、 やっぱり自分はドキュメンタリーだとか対談本が好きだなあ、と。 ちなみに自分の好きなドキュメンタリーとは、 テレビとかで普通に流れてるような、 極力客観的であろうとしているようなしょーもないやつではなく、 (そもそも“客観的”であろうとするからドキュメンタリーがつまらなくなるのだ。) 著者(映像なら監督)の主観、言い換えるなら“心の動き”を通したもの、 それも個人的なら個人的なものほど面白いと思う。 いずれ今読んでいるものの感想も書きたい。 まったく話は変わるが、最近の悩み事。 自分は一度眠るとなかなか起きないタチなのだが、 最近は夜中にふと目が覚めて、その瞬間にグルグル〜っと頭が回り出して 全然眠れなくなる、ということがよくある。 本当に困る。 で、他にも同じようにメチャクチャ頭が回転している時、ってのがふと思い当たって、 それは、お風呂で頭を洗っている時。 一見何の共通項もないような感じがしないでもないが、 実は両方とも自分は「目を閉じている」。 特に頭を洗うときは、もの凄く強く閉じている。(たぶん小さい時の名残だ…。) 目を閉じると何かスイッチが入るのか…。 久しぶりにサッカー日本代表の試合(vsフィンランド)を観た。 両サイドバックの長友&内田は若くて良い。 それにしても得点パターンに芸が無い。 何度か試みていたペナルティエリア内でのパス交換で点が入るようになれば面白いが…。 トゥーリオが戻ってきたのは高さ的には良いかもしれないが、 無駄なロングフィードが多すぎ。 レッズではあれで良いかもしれんが代表では止めてほしい。 それと、最終ラインでのパス回しの遅さが、観ていてホントにキツかった。 試合(&前半)終了間際なら全然オッケーだが、 日本の場合、試合のど真ん中で、しかも意味がない。 相手が激しいプレスに来ていたわけでもないのにああいう事が起こるのは、 理由があるとすれば「パスの出しどころがない」という致命的なもの。 あれは、著しくサッカーのエンターテインメント性を落とすプレイなので慎むべき。 本当に徒然と…。
YouTubeでMステ出演の模様をチェック。
(ちなみにMステなんて観たの何年ぶりだろうか…。) 新曲の作詞作曲とボーカルをなんと民生ではなく阿部が担当しているのをみて、 何となく嬉しかった。 ユニコーンらしいなあ…、と。 曲もまあ阿部らしく、テッシーのライトハンドでのバッキング(!)も凄かった。 自分は小学生の頃、 バービーボーイズとか米米クラブとかが好きだったのだけど、 (低学年の頃はなぜか、安全地帯とアルフィー…。) 例に漏れず6年生の時にブルーハーツに出会い、 続に言うロック(orパンク)の「初期衝動」ってやつで、 本格的に音楽にのめり込んだタチ。そりゃあもう、熱病的だった。 自分と同年代の男子は総じてそこを入り口として各々なロックの道へ進むのだけれど、 自分は結構早くにブルーハーツ熱は冷めて、 すぐユニコーンとレピッシュの時代に突入した。 中学時代初期、女子でユニコーンのファンというのは結構いたけれど、 男子にはそれほど人気は無かったように記憶している。 当時は俗に言う「バンドブーム」で、 ブルーハーツを入り口として、 例えばRCサクセションだとかBOØWYとかに先祖帰り奴もいれば、 新しく出てくるバンドを片っ端から追いかけるとか、 なぜかインディ方面に行く奴もいたし、ビジュアル系に目覚める奴もいた。 まあとにかく新旧いろんなバンドがあふれていた。 でも、その中でユニコーンは少し違ってた。 ユニコーンを自分に語らせたら終わらない、ってくらい 語りたい事が次々と溢れてくるのだが、 “何が違ったか?”というのを割愛して言うと、 「バンド内にプロデューサー目線を持つバンドであった」 ということだと思う。 ほぼ全員が作詞作曲をして、ほぼ全員がボーカルをとる、という事自体、 当時のバンドとしては珍しかったし(今もそんなバンド、そうそう無いだろう)、 そのこと自体をバンド自身が楽しんでいる感じがした。 民生が素晴らしいソングライターであることは誰もが知っているけど、 テッシーの『デーゲーム』『自転車泥棒』とか 阿部の『逆光』『開店休業』『アナマリア』とか、 EBIの『シンデレラアカデミー』とか、 もう凄いのだ。 そしてこれだけバラバラの個性が一つのバンドとしてまとまっていたというのは、 本当に奇跡のようなことだったと思う。 それぞれがそれぞれに一目おいていたのか、 もしくは阿部あたりのプロデューサー的資質がそうさせていたのか (個人的には3:7くらいで後者だったと思っているのだが) 「バンド」というものの楽しさ、音楽の楽しさ、を示してくれて、 「初期衝動」から次のステージへと自分を引き上げてくれたのは、 間違いなくユニコーンだったと思う。 (そういえば、レピッシュにも上田現(故人)という名プロデューサーがいたなあ…。) 自分はその後、 フリッパーズギターとかピチカート・ファイブに出会って、 今度はそこを新たな入り口としていろんな音楽を聴くようになったんだけど、 最近、好きな音源のパターンとして一つ認識したことがあって、それは、 「自分は、プロデューサー気質の人のソロ名義のアルバムが好きだなあ。」 ということ。 例えば、ブライアン・イーノとか、トッド・ラングレンとか、 最近ならベニー・シングスとか、日本で言うとテイ・トウワとか。 何となく、そういう好みの源流が、ユニコーンにあるのかな…? と思った今日この頃です。 ちなみに、Mステで新曲の後に演奏した『すばらしい日々』は余計だったと思うなあ…。
あけましておめでとうございます。
皆さんが忘れた頃にきっと更新してますので、 今年もよろしくお願いいたします。 武田、川尻、青木、アルバレス、マヌーフ、アリスター、桜庭、田村。 ムタ、エスペランサー・ザ・グレート、泰葉、清水マネージャー。 チェ・ムベ、三崎、サンチアゴ、北岡。 みんな、いろんな意味で凄かったなあ…。 それなのに、何やってんだよ小川。 もうどうでもいいけど…。
昼、時間がなくてふと目についたファミレスに入った。
昼時なのに明らかに人数の少ない店員達はてんてこ舞いになっていて、 注文ミスやらを連発していそうな雰囲気が厨房からフロアにも伝わってきた。 ランチが運ばれてきた自分の席の隣に、 見たところ70は過ぎているであろう爺さんが座った。 身なりはまったくもって普通の爺さん。 店員が忙しく、席に案内もしなかったので爺さんは勝手に座った。 食べ始めた自分の横で、 爺さんはずっとメニューを眺めていた。 店員は誰も来ない。 水も来ない。 何か雲行きが怪しくなってきた。 少なくとも自分はそう感じた。 でも、爺さんは黙ってメニューを眺めている。 自分の考え過ぎなのか、 それとも爺さんがずっと何を食おうか迷っているだけなのか。 もしくは、テーブルのボタンを押さないと店員が注文を聞きにこない、 ということを分かっているのかどうか…。 そして爺さんはついに、メニューから顔を上げ、店内を見回しだした。 その瞬間、自分の食欲は一気に失せた。 それでもわからない。 ただ店内を見回しているだけなのか、 それとも店員に合図を送っているのか。 爺さんには、いっこうにテーブルの呼び出しボタンを押す気配はない。 ただ店内を見回し続けている。 店員達はあいかわらずてんてこ舞い。 爺さんにはまったく気づかない。 ついに、どうしても我慢できなくなって席を立ち、店を出た。 …おれが。
仕事場でどんな音楽をかけるか?
非常に難しいテーマである。 以前、会社に勤めていた時はいつもヘッドフォンでi-podを聴いていた。 まあその頃は音楽を聴く、 というよりも周りのいろいろな雑音を遮断したかった、という意味合いが強く、 あまり音楽の種類(ジャンル)は関係なかったような気がする。 しかし今、一人で仕事をしてみるとこれがなかなか難しく、 ジャンルは関係ないこともない、と思えてきた。 ここ3ヶ月ほどいろいろ試してみて今のところわかったのは、 やはりテクノとかハウス、要は俗にいう“4つ打ち”の方が、 個人的にははかどる(ような気がする…)ということだ。 まああくまで“気がする…”っていうレベルの話なのだが、 「作業」のBGMとしてはもう何となく定着してきた。 でも、昼を過ぎるとやはりちょっと耳が疲れてきて 少し穏やかなポップスとかに変えたりしながら、 夕方くらいにはジャズになって、外も暗くなってくるし、 音楽的にも気分(仕事)的にもユルくなってきて、ビールが飲みたくなってきて… …というのがいつもの流れです。 ちなみに、最近は「琥珀ヱビス」が旨いなあ… …と思い焦がれている午後3時半です。
昨日は娘の1歳の誕生日。
長いようで短い、ホントに濃密な1年だった…。 奥さんの出産に立ち会うために神戸に飛んでいった(実際には電車だったが…)こと、 産まれた時のこと、 初めて病室に連れてきたときのこと、 金沢に帰ってきた時のこと、 毎日お昼に会社を抜けてお風呂に入れたりしてたこと、 昨日の事のように思い出せるのと同時に、 あまりに濃密すぎて逆に忘れてしまった事もたくさんあるような気がする。 昨日は絶好の天気(娘が産まれた日もそんな天気だったなぁ)。 午前中は自分たちが結婚式を挙げたホテルに、 結婚後も子供が産まれた時とか記念日なんかに 4回まで無料で写真を撮ってくれるというサービスがあったので、 それを利用してホテルで記念撮影をこなし、 お昼ごはんを買って近所の山の公園(平日なので誰もいない)の芝生でお昼を食べ、遊び、 午後は娘の誕生日プレゼントをゲットしに買い物、 夜は一応セレモニーということで3人でケーキを食った。 平日にこんなことができるというのがまさにフリーランスになった醍醐味である。 (もちろん、そうもいかない日もあるが…。) まあ1年間、特に異常もなく、健康であるだけで充分。 いっちょまえに1歳か…。 おめでとう。 ![]() ↑近所の図書館のキッズルームにて。 見たまんまのキャラです…。
よく、雑誌とかに出ているデザイナーが自分達の職業について
「患者(クライアント)の病気(問題)に対して正しい処方箋(アイディア)を出す。」 とか言ってるのを見かける。 確かにそれはある意味で正しい例えだと思う。 でも、自分はそういうデザイナーとは少し違う、と思う。 自分は“超”がつくくらいプレゼンテーションが下手だし、 デザインというかクリエイティブを生業にしているものにとってこれは正直、 致命的である。 学生の頃や仕事をやり始めた頃、20代前半までは、 「“言葉にできない”ということは“考えていない”というこだ。」と、 心の底から思っていた。 でも、少なからずーー本当に、少なからずーー人生とか仕事の経験を積んでいくうちに、 自分はどんどん“言葉にできない”ようになってしまっている。 確実に、年々そうなってきている。 特に仕事方面でヒドいことになっている。 言葉よりも何よりもまず「形」で出てきて、 それを提示するしか無い、という状況になってしまうのだ。 本当に「こんなんなんですけど…。」っつって案を出して終わり、って時すらある。 そんなんで何とかやってこれてるということは、 クライアントに恵まれたという以外の何物でもなく、 本当に自分はラッキーだ、と心から思う。 ただ、言葉は全然出てこないけど、 デザインの出てくるスピードも確実に上がっている実感はあるし、 質だって自分でもビックリするくらいに変化してきている。 そして何より自分は、自分のクライアントの大“ファン”なのだ。 今、自分がやっている仕事を言い表すなら、こう言える。 「アイドル(クライアント)を売り出す(プロデュース/宣伝活動をする)ために 自らが勝手にマネージャーになったそのアイドル(クライアント)のファン」 そんな感じだ。
『ドラえもん 劇場版 〜ぼくの生まれた日〜』
『ドラえもん 劇場版 ~のび太の結婚前夜~』 『エヴァンゲリオン新劇場版・序』 我ながらステキなチョイス。 実はどちらもTV版のリミックスであり、 TV版をベースにして映画用に演出/ストーリー共に焼き直されたもので、 『ドラえもん 劇場版 ~のび太の結婚前夜~』では久しぶりに号泣、 (やはり娘がいるからだろうか…。) 『エヴァンゲリオン新劇場版・序』は、 TV版がベースになってはいるものの またっくの別物であると言ってもよいくらいの完成度。 ストーリーや演出もかなり洗練されているのだが特筆すべきは映像処理で、 大画面ではない液晶テレビで見ても、背景と動く部分の画質の差がほとんどないのである。 TV版には無かった使徒の新しいムーブや戦闘場面(&兵器)などが特に美しく、 映像自体のレベルアップが、練り直された演出をより際立たせる効果を持っていた。 しかし、である。 どちらも見終わった後に何か胸に残った違和感…。 劇場版のドラえもんにもエヴァにも、 TV版を初めて見た時ほどの“何か”を感じなかったのだ。 その“何か”とは何か? レギュラーで放送されるTVアニメみたいなものって、 30分枠とは言えどCMやオープニング・エンディングテーマとかを差し引いて 実質、20分にも満たない。 しかも一話のど真ん中にCMが注入されるから物語が一度ブツ切りにされる。 さらに週一の放送となれば放送期間中は常に締め切りに追われているわけで、 相当テンパった状態で演出/構成のディレクションが行われているのだ。 要は、「制約」がキツいのである。 上記の劇場版はどれも、一度作られた物を練り直しているわけで、 そりゃあ洗練もされるだろうし、TV版に比べれば予算も時間もあっただろう。 でも、なぜなんだろう…、自分がどうしてもTV版の方が好きなのは…。 それは、考えてみるに、 “必然性”があるからなのだと思う。 いや、“必然性”がある、というか、“必然性”がより強い、というか。 アニメの現場なんて、それが『ドラえもん』であろうが何であろうが 放送期間中はきっと怒濤のような日々だろう。 予算も時間もなく徹夜続き、 『ドラえもん』にしてみれば大・国民的アニメであるにも関わらず、である。 それでもおそらく『ドラえもん』のスタッフ達は、 自分たちが『ドラえもん』に関わっている、という誇りを持っていたはずだ。 大・国民的アニメに関わっている、という。 であるがゆえのスタッフの真摯な姿勢。 それがTV版『ドラえもん』が心に残る理由だと思う。 テレビで『ドラえもん』を見ていた事がある人なら誰にでも一つくらいは、 心に残っている話があるんじゃないだろうか? 上記の中では特に『ドラえもん ~ぼくの生まれた日~』なんかは、 断然TV版の方が物語がシンプルで無駄が無く、なおかつ本当に感動的だ。 そして『エヴァ』の場合は言うまでもなく、 時代背景からもろに影響を受けいている。 『エヴァ』の放送年のはじめに阪神大震災があり、春には地下鉄サリン事件があった。 TV版に時代とシンクロした“熱さ”があるのは間違いない。(今観ても、だ。) 今回の劇場版はまだ続きがあるので、 今後新しいキャラやストーリーが出てくるのだろうけど、 それでもTV版を超えることはない、と断言できる。 (どう変わるのか?という意味で、次作がとっても楽しみだけど。) 要はどちらも、 『ドラえもん』の場合は一見静かでいながら実はとても強い、 『エヴァ』の場合はある意味でとても分かりやすい、 “迫力”がTV版の方が断然満ち溢れているのだと思う。 なおかつ『ドラえもん』はバブル景気以前からのTVアニメ全盛の頃に作られ、 『エヴァ』は時代背景的にもTVアニメ業界的にも“崩壊後”に作られた、という背景と、 時代は変わっても変わらないTVアニメ業界の現場の状況。 いつもギリギリの状況で生み出されるがゆえの 「こうなってしまった」「こうするしかなかった」 という“必然性”。 その必然性の強さが、美しさとか面白さを超えた“強さ”なのではないか、 と思う。 でも、劇場版でも結婚前夜のしずかちゃんとパパのやりとりには 思いっきり泣いてしまいました…。
ここ最近は10年ぶりくらい(Arling & Cameron以来)にオランダブームが来ていて、
以下、全てオランダのアーティスト。 ![]() 『Benny… at Home』Benny Sings ![]() 『SUBWAY SILENCE』GIOVANCA ![]() 『LIVE AT HOME』WOUTER HAMEL そもそもはCSの音楽チャンネルを眺めていた時に、 偶然ジオヴァンカのPVに出会って久しぶりに音楽的感銘を受けて 何の気なしに調べてみたのだが(っつってもAmazonでですが)、なんと! 昨年末に出会ったウーター・ヘメルのアルバムの中で 自分の1番のお気に入りだった男女デュエットの曲を ヘメルと一緒に歌っていたのが偶然にもそのジオヴァンカだったのだ! そしてそのヘメルのアルバム、ジオヴァンカの今回のアルバムの 両方のプロデューサーをしていたのが同じベニー・シングスという人物。 ヘメルもジオヴァンカも、 素晴らしい歌声とフォトジェニックな容姿で素材としても最高なのだが、 それに反して見た目は普通の(というかどっちかと言えば冴えない) オランダ人のおっさん、ベニー・シングス。 この人、天才かも。 …っつーかもしかして、有名人?
会社を辞め、フリーランスになって初めての更新です。
久しぶりに文章を書きたい気分になってきた。 ブログを休んでいて改めて思ったのは、 文章を書く(言葉にする)ことによって自分の考えは整理されていたんだなあ…、 ということ。 最近、人と話していてこっちは内容的にとっても反応しているにも関わらず 言葉が出てこなくて「あぁ…」って味わいもクソもない相槌しか打てなかったり、 もしくは自分の言いたい事に対してまったく言葉が足らず、 相手に気持ちを十分に伝えきれない、とか、 かと思えば、あまりに何も考えずに酷い軽口を叩いて相手を不愉快にさせてしまったりと、 要は“言葉”が使えなくなってきている、ということに気がついた…。 根本的には“言葉よりも行動”だと断固思ってるけど、 基本的に人間は言葉でコミュニケーションをとる生き物で、 やはり言葉って大事だなあ…、 と思う今日この頃です。 またちょこちょこ更新するようにしますので、 気が向いたらまた覗いてみてください。 (ネタ自体は相変わらずかもしれませんが…。)
第二次UWFの立ち上げ時に前田日明は三島由紀夫の言葉を引用してこう言った。
「選ばれし者の恍惚と不安、我に有り。」 このブログのタイトル『お前ら噛みつかないのか!?』に続けて長州はこう言った。 「今しかないぞ!俺たちがやるのは!!」 当時の新日本プロレス内での序列を破ろうと藤波辰巳が立ち上がった時(飛龍革命)、 アントニオ猪木はこう言った。 「やれんのか!?」 海外遠征から凱旋した破壊王・橋本真也が蝶野正洋とタッグを組んで アントニオ猪木・坂口征二組と対戦する直前のインタビューでこう言った。 「時は来た!」 ハッスルの初期、今ひとつハッスル内で弾け切らない破壊王や川田利明に向かって 小川直也がこう言った。 「今ハッスルしねえでいつハッスルするんだよ!」 不死身のボスキャラ、ザ・エスペランサーvs坂田亘戦で 試合中に突如現れた妖精さん(小池栄子)が、 命を賭してエスペランサーの殺人技「レーザービターン」を跳ね返した後、 坂田にこう言った。 「立って…。今こそハッスルするのよ!」 この全ての情景が頭に思い浮かぶなら、 あなたは重度の変態さんです。 (でもたぶん、金沢では自分だけでしょう。) そして、子供が生まれたばかりのこのタイミングで会社を辞める自分も変態です。 独立します。 迷わず行けよ、行けばわかるさ!
「私もあなたの数多くの作品の一つです。」
にも、涙が出そうなくらいシビれたけど、 今ネットなんかで流れてる『弔辞白紙』説、 これにはもっとシビれた。 自分もああいう大人になりたい。
ウチの娘(もうすぐ8ヶ月)はケータイが大好きだ。
イジってるうちにどこかに電話してしまいそうで いつもヒヤヒヤする。 で昨夜、娘がイジっているケータイのモニターを見ると、 どっかに発信してやがった! あわててケータイを取り上げてどこにかけてたのか確認すると、なんと、 ストロベリーコーンズ(ピザ屋)だった。 どうやら一番新しい発信履歴からリダイヤルしたらしいのだが それよりビビったのは 自分がストロベリーコーンズに電話したのは6月28日の土曜日、 つまり自分は、一週間以上どこにも電話をかけていなかったのである。 そりゃ毎月、やたらと無料通話分が貯まるわけだ。 料金プラン、見直そう…。 ![]() カワイくてすいません。
| ||||